教育

今日は西〇銀行の説明会だったんだけど、行き帰りの電車の中で、なぜか教育について考えてしまった。特に、学校の先生について。
私が学校の先生になるのをやめてから久しいんだけど、未だに教育については考えてしまうようだ。。。その前になんで学校の先生をやめたかっていうと、教育実習がきっかけかな。
実習生として高校の教室に入ったとき。最初は後ろから見てたんだけど、・・・すごくやだった。私三年前までこの場所にいたのに!?その当時はこれが当たり前と思っていたけどさ。まずみんながおんなじ服着て所狭しと並べられた机に座って、なにやら机によってみんな陣地が決まってて、通路は人一人くらいしかとおれない。
時間がきたらずらーって決まった場所に座って、その様子を後ろから見てた私はなんだか不愉快だった。そんな密集した教室の前のほうのひときわでかい机の前に「先生」という存在は立って、生徒をまとめて満足するんだ・・・。なんだか変な形態だなあと思ってしまった。12年ぐらいそんな環境にいたはずなのに、おかしいね。
毎日毎日50分ごとにちょっとの休み時間が来て、昼飯食べてお昼からもその調子。夕方もおうちに帰ってメシ食ってテレビ見てお勉強して次の日も0限があるから朝はよから起きて学校へ。なんだか気の毒だ。自分の好きなこととか運命的な何かなんて見つけられるのか?そんなんで・・・。世の中には国語数学社会理科英語体育家庭科美術音楽こんなもんだっけ?それ以外のいろんなことがいっぱいあるのに。いったいいつそれを見つけるんだろ。
でも学校の存在自体は否定しないよ。学校なかったら、おそらく集団に適応できない人ばっかりになっちゃうからね。でも、私はここで教育なんてしたくないなあと思っただけ。学校は学校が好きな先生たちに任せよっと。
で、今日になって気づいた。他の形で教育に携わったほうがいいんじゃないか・・・?どう考えても銀行とかより教育に関してのほうが興味あるなあと思った。私の周りは真剣に先生になりたいって人ばっかりだったから、余計先生なんて気楽になれる的な人がむかつく。だって、子供っていう人間形成の一番大事な時期に他人にかかわるんだよ!?それってとっても責任重大な気がして。いろんな先生がいたっていいってのはわかる。子供たちにはいろんな大人に接してほしいと思うから。でも、できれば反面教師はあんまりいてほしくない。特にいいことと悪いことの区別がまだいまいちついていない時期の子供の学年には。しかも今の子供たちって難しいなあって、塾のバイトして思った。
中学生が携帯持ってるのは当たり前。中学生の女の子って特に友人関係のトラブルが多い時期だろうと思う。私たちが中学校のころ手紙交換とかやめろっていわれたのは友人関係のトラブルを避けたいため。それが電子メールとなった今、どんどんスケールアップしていくだけじゃないか??先生たちにはもう制御する手段なんてない。それからさ、塾が終わって夜遅いのにゲーセンに遊びに行こうとするしかも毎回。そんな金どこにあるんだよ!?そんだけあったらわたし2週間ぐらい生活できるよ!?その金ちょうだいよ!?(話ずれた)それだけの金かせぐためにあんたの親がどんだけ労力使ってるのか分からないの!?ていうか金の価値観でさえうまく教育されていないらしいね・・・。
私の周りの友達は先生という職業にたいして(まだ先生になってもないのに・・・)プライドが高い。でもそれだけに、いろいろ考えてるんだろうから(実際言うことはしっかりしてるし。)、私だったら彼らには自分の子供を預けられると思う。でもそんな人がいるってのに、先生?なれるなれる!なんて人に私は子供を預けられないな。塾のバイトをやらないのとやるのと、ただそれだけでさえ現代の子供たちについてこれだけ知ることのできる量が違うのに。
まあでもさっきまで述べてたように、学校が教育のすべてじゃないってことにしたいんだよね。やっぱり根底は、家庭教育だと思う。先生がどんなにがんばったって、その家庭の中で形成された、子供の価値観を変えるのは難しいと思う。極端な話、家庭って勝手に割り振られた、しかも一生付き合っていかなきゃならない宗教じみたところがあると思う。家庭ごとに教育観も食事の味も寝る時間もぜんぜん違う。問題は、それなのに「うちがふつう」ってみんなが思ってしまうことだと思う。普通なのかどうかはむしろ問題ではなくて、悪い習慣や考え方に気づけなかったりするところなのである。
なんていろいろ考えた結果、家庭教育をサポートしていけたりはしないかななんて思ってきた・・・。もしかしたらちょっとやりたいことが見えたのかなあ・・・。
うーんどーでしょ〜。
BGM / レイジアゲインストザマシーン